自分の撮った写真に一体どれだけの意味があるのか。昔は自分もそんなことばかり考えていた。
そんなことを何年考えても答えなんて出なかったし、考えれば考える程、僕の撮った写真の本来あるべき姿からどんどん遠ざかっていく感じだった。自分らしさとは?自分らしい写真とは?また、そこにどれだけの意味があるのか?そんなことを考えるよりも1枚でも多くシャッターを切ることの方が、写真を撮る上ではるかに大きな意味を示すのではないか。色々な失敗を経て、いつの間にかそんな風に考えるようになった。今は「やりたいようにやる」っていう答えしか思い浮かばなくなってしまったけど。
そして、いくらそんなことを考えてみたところで、撮った写真が一度でも自分の手元を離れたその瞬間から、僕の考えとか主義とかは全く及ばなくなっていく。その写真の意味はそれを見た人がそれぞれ作っていってくれるものだから。自分が大好きな人を撮った写真。そして、それを自分の大好きな人達が見てくれる。そんな瞬間に立ち会ってみて、またそれを実感した。だって、その写真を撮った時、後でそんな意味が生まれるだなんて夢にも思っていなかったから。
いつも笑顔でいること、どんな人にも分け隔てなく優しくすること、そして自分というものを最後まで貫くこと。色々なことを教えてくれた大切な人。その人が最後に僕のことを沢山褒めてくれた上で、「頑張ってね」と言ってくれた。その人はスケートボードで転んでも、いつも笑っていた。そして、転ぶことを良いことだとも言っていた。そういうところも格好良くて仕方がなかった。
「頑張る」
それはきっと楽しいことに違いない。その人が今までそれを沢山見せて、教えてくれたから。よし、僕は写真を撮ろう。ただ、写真を撮ろう。いつも楽しく。いつ、どこで会っても、「ムラケーン!」って嬉しそうに名前を呼んでくれた、少し鼻にかかった、高めの声がずっと耳に残っている。
ミレニアム以降のシーンにおいて、多くのスケートエピックを記録してきたフォトグラファー。トリック写真だけでなく、それに付随する心情写真やランドスケープにも定評がある。現在は専門誌の他にカルチャー誌、ファッション誌、そしてエキシビション開催やフォトブック製作など、活躍の場は多岐にわたる。